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ターンエーガンダムのエピローグの後、あの世界はどうなるか考えたことはあるだろうか。あの後にも、きっと戦争が起こるだろう、と自分は思う。正暦の後の世で「正暦も戦争の時代であった」と言われるかもしれない。
おとぎ話がおとぎ話でいられるのは、その後の世界が存在しないからであるけれど、ターンエーガンダムはおとぎ話ではない。ターンエーには歴史がある。黒の歴史があって、正暦があって、その先にも歴史がある。おとぎ話には、過去もなければ、未来もない。物語の始まりと終わりだけがある、完結した世界である。しかし、ターンエーがテーマのひとつに「歴史」を含んでいる以上、ターンエーのその後の世界も存在することを、物語自体がはらんでいる。
ターンエーのエピローグから感じることは「戦争が終わり、平和になった世界」ではなくて、「次も戦争はきっとある」という予感だった。
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月の女神、樹木の神で豊穣と多産と結び付けられる。
ターンエーのディアナ・ソレルは月の女王であり、その祖先はかつて月に移住した際に農業技術の発展に寄与したとされる。
『王子と乞食』のように互いの役割を入れ替えるというモチーフ。
一人の人物が性別を偽って別人のように振舞うのも「いれかわり」の亜種といえるかもしれない。
新しい王が力を失った古い王を殺すことで、新しい力を得るという王殺しの儀式が行われていたネミの森はすなわちディアナの森である。
ヤドリギ(英名:ミスルトゥ)は金枝篇のタイトルにある「金枝」のことであり、ターンエーでは月近くの農業コロニー「ミスルトゥ」に採られた。
クワウトル王はアステカ神話のケツァルコアトルから来たと思われる。
極楽鳥の羽を求めて旅立ったウィル・ゲイム。月に連れ戻されるディアナ。
劇場版見ながら考えていたことを思い出した。
ヘンケン艦長がカツを預かるのと交換条件にエマ中尉をラーディッシュに引っ張っていった部分が新たに加えられていたのだが、ほかにもそういうエマ中尉とラーディッシュ(というかヘンケン)との関係を補強するシーンが随分増えたなということを考えていた。
戦闘シーンでおそらく射撃管制担当のクルーが砲手に「エマ・シーンを避けて撃て」と声をかけたのをヘンケンが「よーゆーた」見たいな感じで褒めてたり、「ラーディッシュの花」扱いだったり。
エマ・シーンは心外かもしれないが、ラーディッシュのクルーが戦争をするという特異な状況に置かれた時エマの存在がクルーの心の支えに知らず知らずになっていくというのが感じられた。ヘンケン以外のクルーがエマに対して個人的な感情を抱く抱かないという問題ではなく、ただそこにエマがいるということが、戦うための力になることもあるのではないかとおもうのだ。そうでもなければ戦争なんてできるもんじゃないのかもしれないと。
本人が望む望まないに関わらず愛されるエマの一方で、愛されていないと感じるレコアが存在する。レコアは不幸な人なんだろうがエマとどこが違うのだろうと考えるとよくわからない。決定的に何かが違う気もするがよくわからない。
地球降下作戦でカミーユが見せた好意のようなものを好意として受け取れなかった部分なのだろうか。レコアがカミーユの好意を受け取れない理由はカミーユのそれがレコアの求めるものではなかったという部分とカミーユが子供だったせいもあるのかもしれない。こういう構図はカテジナとウッソにもつながるのかもしれないけれど、今はちょっとよくわからない。
この辺は3部で描かれるを待つしかないか。
遅くなりました。d:id:valiant-dkさん、どうぞよろしく。
valiant-dk皆さん、よろしくお願いしますm(_ _)m
「今すぐ人類に英知を授けてみせろ!」
黒歴史の終わりが惨憺たる物だった以上、人間も争いごとについて後ろ髪引っ張られる思いでやってくれるんだろうか。